実家で相続の話を切り出すと、親が少し黙った。「まだ元気なのに、もう財産を分ける話か」。そんな空気を想像して、何年も聞けずにいる人はいるだろう。
けれど、最初の話題を「誰が家をもらうか」にする必要はない。「入院したとき、どの書類を見ればいい?」「この家には、これからも住んでいたい?」。本人がこれからどう暮らしたいかを聞くところからでも、相続の準備は始まる。
相続対策の最初の一歩は、本人の希望と、財産・負債・重要書類の所在を整理することだ。分け方、税金、将来の管理を見渡してから、遺言や贈与、保険、後見など必要な手段を選ぶ。
本人が生きている間、その財産はまず本人の暮らしを支えるものだ。子どもたちの将来の取り分を決めるために、親の生活費や介護費が足りなくなっては、準備の順番が逆になってしまう。
1.家族関係を、思い込みだけで決めない
最初に確認するのは、現在の家族関係と連絡先。配偶者、子、養子、前婚の子、既に亡くなった子の子などを書き出す。子がいない場合には、父母や兄弟姉妹など、別の順位の確認が必要になる。
「何年も会っていないから相続人ではない」「一緒に暮らしているから配偶者として相続できる」。日常の家族の感覚と、戸籍上の身分関係は一致しないことがある。
誰が法定相続人になるかは、最終的には相続開始時の関係で決まる。今作る家系図は、その時まで変わらない決定書ではなく、準備のための確認資料だ。親族に触れにくい事情がある場合も、無理に全員の前で話すより、本人が専門家へ個別に相談する方法を考えたい。
独身の場合は独身者の法定相続人と備えも参考になる。大切に思う人へ自動的に財産が移るとは限らないため、希望と法定の順序を一度照らし合わせる意味がある。
2.財産一覧には、借入れと保証も入れる
財産は本人の頭の中に、書類は家のあちこちにある。残された家族が困るのは、金額が分からないことだけではない。どの銀行へ、どの会社へ連絡すればよいのか、その入口から探すことになる。
初めから正確な評価額をそろえなくてもよい。次の項目について、金融機関名や所在地、契約書の保管場所を残しておく。
- 預貯金、証券口座、投資信託、非上場株式。
- 自宅、貸付物件、農地・山林、共有持分。
- 生命保険、貸付金、退職金や会員権に関する資料。
- 暗号資産などデジタル資産を把握するための手掛かり。
- 住宅ローン、事業借入れ、カード債務、保証契約。
暗証番号を家族全員へ配ることが目的ではない。本人が安全に管理できる形で、必要なときに資産や契約を探せるようにする。口座や契約を解約・変更したら、一覧も直しておく。
保証は、まだ請求が来ていなくても確認したい。相続後に多額の負担が分かれば、原則3か月の相続放棄などの判断にも関わる。資産だけをきれいにまとめ、借金を別の引き出しへ残さないことだ。
3.誰に遺すかの前に、本人が使うお金を残す
「子どもには平等に」と言われたら、その言葉の続きを聞いてみたい。自宅を残したいのか、子どもが売ってよいのか。介護を担う人へ配慮したいのか。事業を続けてほしいのか。
例えば、主な財産が自宅で、子どもが二人いる。二分の一ずつの共有にすれば数字は等しくなるが、一人は住みたい、もう一人は現金が必要かもしれない。将来の修繕や売却で、再び話合いが必要になる。
家を一人へ遺す案なら、ほかの家族への配分や遺留分、納税資金も考える。障害のある家族の生活費、事業の運転資金など、単に同額にできない事情もあるだろう。
そして、それより前に本人の生活費、住まい、医療・介護のための資金を見ておく。贈与してしまった財産を、後から必要になったから当然に取り戻せるとは限らない。対策後の残高で、本人が暮らし続けられるかを確かめたい。
4.希望を、実行できる遺言へつなぐ
ノートに書いた希望は、話し合うための大切な材料になる。ただ、「エンディングノート」と呼ぶ書類を残せば、それだけで遺言の法定方式を満たすわけではない。遺言として効力を持たせたい内容は、方式や表現を確認する。
自筆証書遺言なら、本文、日付、氏名、押印、財産目録、訂正方法などに決まりがある。公正証書遺言なら、公証人と証人が関与し、原本が保管される。どちらも作成時の遺言能力が必要となる。
法務局の自筆証書遺言書保管制度には、原本保管や検認が不要になる仕組みがある。死亡後の通知にも制度上の条件や手続があるため、家族がどう知るのかまで確認する。保管されたことだけで、内容の法的な有効性が保証されるわけではない。
また、遺言を書けば遺留分の問題も消える、とはならない。一定の相続人には遺留分があり、配分によっては金銭請求を受けることがある。誰が支払うのか、その資金を用意できるかまで検討したい。
希望を書き留めることと、財産を法的に引き継ぐことの違いは、終活と相続対策の違いでも整理している。ノートを無駄にするのではなく、必要な部分を正式な手続へつなぐことだ。
5.税額だけでなく、払える現金を確かめる
相続税の基礎控除は、3,000万円+600万円×法定相続人の数。例えば法定相続人が三人なら4,800万円だ。ただし、預金と不動産の見た目の金額だけを足して終わりにはしない。
不動産や非上場株式の評価、生命保険金等のみなし相続財産、債務・葬式費用、生前贈与の加算を整理する。養子など、税計算で数える法定相続人の扱いにも確認事項がある。
税額を試算したら、次は支払う資金を見る。財産が自宅や会社の株式に偏っていれば、価値はあっても現金は足りないことがある。「売れば払える」と考える場合も、誰が売却を決め、いつ売れそうかまで見通す必要がある。
相続税の申告・納付期限は、原則として相続開始を知った日の翌日から10か月以内。分割がまとまらなくても原則延びない。配偶者の税額軽減や小規模宅地等の特例を使って税額がゼロになる場合も、適用のための申告が必要だ。
配分を変えれば、税額だけでなく家族の手元資金も変わる。納税の試算は、遺言案や不動産の扱いと並べて行う方が役に立つ。
6.贈与と保険は、契約の名前より中身を見る
「毎年110万円なら大丈夫」と聞いて、振込だけを続ける。その前に、何のために、誰へ贈るのか、本人の生活資金は残るかを確かめたい。
贈与は渡す側と受け取る側の合意が前提となる。契約書、資金移動、管理の実態を対応させて残す。親が子名義の通帳を持ち続けている場合には、名義だけの預金ではないかが問題になる一方、管理している人だけで一律に結論が出るわけでもない。
暦年課税の110万円は、受贈者がその年に受けた贈与の合計についての基礎控除だ。贈与者一人ごとに別枠ではない。また、贈与税がかからなくても、相続税の計算に加わる贈与はある。
相続等で財産を取得した人の暦年課税の贈与加算は、2026年中に開始する相続では原則3年以内。2027年から2030年までの相続では2024年1月1日から死亡日まで、2031年以後は原則7年以内へと対象期間が変わる。延長された部分には総額100万円の控除があるが、毎年100万円という意味ではない。
相続時精算課税は、暦年課税とは別の仕組みで、選択や相続時の精算に注意が必要だ。税制を選ぶ前に、贈与する財産、金額、本人の年齢や希望を税理士へ伝える。実際に残す資料は生前贈与の証拠も確認したい。
生命保険は、契約者、実際の保険料負担者、被保険者、受取人を確認する。受取人が指定された死亡保険金は一般に受取人固有の権利だが、被相続人負担の保険料に対応する部分には相続税が関わり得る。
遺産分割でも、保険金は何があっても無関係とまではいえない。最高裁2004年10月29日決定は、著しい不公平がある特段の事情の下では特別受益に準じた持戻しを認め得るとした。保険金額や遺産との割合、同居・介護などを総合して判断するもので、その事件自体では特段の事情は認められなかった。特定の家族へ多額を渡す設計なら、この点も相談しておきたい。
7.判断が難しくなった後、誰に何を任せるか
死亡後の遺言が整っていても、生きている間に財産管理が難しくなることはある。家族だから、通帳を預かっているからというだけで、あらゆる契約を代理できるわけではない。
任意後見は、判断能力が十分なうちに、将来頼む人と任せる事務を契約で定めておく仕組みだ。契約を作っただけですぐ任意後見が始まるのではなく、本人の判断能力が不十分になり、家庭裁判所が任意後見監督人を選任して効力が生じる。
法定後見は、判断能力が不十分な本人を法律的に支える制度で、子どもの取り分や節税を優先するための制度ではない。誰が選ばれるか、管理や報告、報酬がどうなるかを確認する。
家族信託などの信託は、目的に従って信託財産を管理・処分する仕組みだ。対象外の財産や、施設への入所契約など本人の身上保護まで、信託だけですべて扱えるわけではない。任意後見や財産管理の委任との組合せが必要になる場合もある。
任せる人が病気になった場合の交代、使途の報告、監督、終了時の財産の行き先まで考える。制度の名前を決める前に、本人が何を続けたくて、何を任せたいのかをはっきりさせたい。
最初の相談には、決まっていないことも持っていく
家族関係、財産・負債、本人の希望を書き出したら、分からない欄があっても相談できる。遺言内容や家族間の対立は弁護士、税の試算は税理士、登記は司法書士等、公正証書の作成は公証役場が主な相談先となる。
複数の問題が絡むなら、同じ資料をもとに連携してもらえるかも確認する。専門家の報酬は依頼範囲ごとに、公証人の手数料は法定の計算と加算をもとに確認する。「全部お願いする」に、調査、契約、申告、登記のどこまで入るかを見積りで確かめたい。
取りかかる年齢に一律の答えはない。体調、家族、事業、不動産の状況で必要性は変わる。相続対策を何歳から始めるかも参考に、本人が考え、選べるうちに少しずつ進める。
既に亡くなっている場合は、別の順番になる
すでに相続が始まっているなら、生前対策を作り直す段階ではない。死亡日と自分が相続を知った日、遺言、相続人、財産と負債を確認し、必要な期限を管理する。
- 相続放棄・限定承認:原則、自己のために相続開始があったことを知った時から3か月。
- 所得税の準確定申告:必要な場合、原則として相続開始を知った日の翌日から4か月以内。
- 相続税の申告・納付:必要な場合、原則として同10か月以内。
- 相続登記:原則として、相続で不動産を取得したことを知った日から3年以内。
2024年4月1日より前の相続で既に取得を知っていた不動産は、原則2027年3月31日までの登記対応も必要だ。未分割なら相続人申告登記などを検討し、分割後の結果を反映する登記も確認する。
まだ本人と話せるなら、今日すべてを決めなくてよい。どこに住みたいか、何を心配しているか、困ったときに誰へ連絡してほしいか。その答えを聞いてから財産一覧を開けば、相続の話は本人のいない将来の取り分争いではなく、今の暮らしを支える相談として始められる。
公的資料・根拠
- 民法:相続人、遺言、遺留分、相続放棄等
- 最高裁2004年10月29日決定:死亡保険金と特別受益
- 国税庁:暦年課税の贈与財産の加算
- 国税庁:相続税の計算
- 国税庁:相続税の申告と納税
- 法務省:自筆証書遺言書保管制度
- 裁判所:成年後見制度の概要
- 法務省:相続登記義務化に関するQ&A
よくある質問
相続対策は何から始めればよいですか
本人の今後の暮らしと希望を聞き、家族関係、財産・負債、重要書類の所在を整理するところから始める。
毎年110万円以下なら贈与の契約書だけで十分ですか
契約書だけでは判断できない。合意、資金移動、管理実態、受贈者の年間合計、相続税への加算などを確認する。
死亡保険金は遺産分割と無関係ですか
一般に受取人固有の権利だが、著しい不公平がある特段の事情の下では特別受益に準じて考慮されることがある。税務の扱いも別に確認する。
家族信託があれば後見の検討は不要ですか
一律に不要とはいえない。信託対象外の財産や本人の身上保護も含め、必要な管理・支援の範囲を確認する。
相続税がかからなければ対策は不要ですか
税金がなくても、財産の承継、負債、登記、将来の管理は別の課題となる。特例の適用で税額ゼロの場合には申告も確認する。
本記事は一般的な情報提供です。個別の対応は、相続開始日、本人の状況、財産・家族関係の資料を示して弁護士・税理士等へ確認してください。



