自筆証書遺言は、本文・日付・氏名を本人が手書きし、印を押すのが基本だ。パソコンで作った本文に署名するだけでは、この方式を満たさない。
添付する財産目録は、一定の条件で印刷やコピーを使える。本文と目録を分けて確認しよう。
昭雄は、妻の令子に自宅を残したかった。娘の奈々と息子の拓には、預金からそれぞれ残すつもりだ。机に便箋を広げると、令子が「大事なものだから、日付は吉日と書けば」と言った。奈々は「読みやすいように私がパソコンで打とうか」と提案した。
どちらも父を助けようとした言葉だった。しかし普段の手紙でありがたい工夫が、自筆証書遺言では方式の問題になる。家族のために考えた内容を、残された人が実行できない一通にしないため、書き始める前に分けて確認したい。
昭雄・令子・奈々・拓は制度を説明するための架空の家族で、実際の相談を紹介したものではない。財産の配分をこの家族の正解として勧めるものではなく、一通を書いて保管し、見直すまでの経過を追う。
最初の一枚は、本人の手で書く
パソコンなら、誤字もすぐ直せる。家族に頼めば、自分より読みやすい字で書いてくれるかもしれない。普段の手紙ならありがたい助けも、自筆証書遺言の本文では使えない。
民法968条は、遺言者自身が全文・日付・氏名を自書し、押印することを求めている。添付する財産目録には例外があるが、本文まで印刷してよくなったわけではない。印刷した本文に署名と印だけを足しても、自筆証書遺言にはならない。
| 確かめる箇所 | 書くときの基本 |
|---|---|
| 本文 | 本人が全文を手書きする。家族による代筆やパソコン印刷では代えられない |
| 日付 | 作成日を特定できるよう、本人が年月日を書く |
| 氏名 | 本人を特定できる氏名を自分で書く |
| 押印 | 本人が印を押す。実印は必須ではないが、後日の確認に備えて使うことも検討する |
| 訂正した箇所 | 変更場所の指示、変更した旨の付記と署名、変更場所への押印を確認する |
証人も公証人も立ち会わずに作れる。それが自筆証書の手軽さだ。一方で、後になって「本当に本人が書いたのか」「書いた当時、内容を理解できたのか」と争われる余地は残る。民法960条の方式に加え、作成時の遺言能力も必要になる。
病気やけがで手が動かないなら、家族が代わりに書く前に立ち止まろう。添え手の補助も、本人の自書といえるかは事情によって問題になる。無理に書き切るより、公正証書遺言の作り方を確認して、公証人に相談する方が適していることもある。
なぜ、自分で書くことにこだわるのか。遺言を使うのは、本人が亡くなった後だ。そのとき本人へ「本当にこの内容に決めたのか」と聞き直すことはできない。自筆の方式は、本人が残した意思を確認するためのルールだ。手書きさえあれば判断能力の問題まで消えるわけではないが、家族の善意の代筆を、本人の遺言と同じには扱えない。
奈々は、父の言葉を本文として打つ代わりに、財産の資料を集める役を引き受けた。昭雄自身の意思を置き換えるのではなく、父が必要な内容を確かめて書けるよう準備を手伝うことにした。
日付と訂正で、せっかくの一通を迷子にしない
「吉日」では、書いた日が決まらない
日付には、遺言を作った時点を確かめる役割がある。遺言が二通見つかれば前後関係が問題になるし、遺言能力を調べるにも作成時点が必要だ。「九月のどこか」では足りない。
「令和八年九月吉日」のような記載は、日を特定できない。自分で作るときは、実際の作成年月日をそのまま書こう。後から家族に日付を埋めてもらうつもりで、空欄にしておくのもいけない。
昭雄に古い一通があったとすれば、そこに「家は拓へ」、新しい一通に「家は令子へ」と書いたとき、どちらが後の意思かを確かめる必要がある。日付は、飾りの締め言葉ではなく、その順番を示す手がかりだ。令子も、あらたまった「吉日」より、作った日をはっきり残す意味が分かった。
きれいに消すほど、元の文字が分からなくなる
一文字間違えると、修正液に手が伸びる。ところが、遺言書では「跡形もなく直せた」が安心につながらない。いつ、誰が、何を変えたのかという問題が生まれる。
民法968条3項に沿った訂正には、変更した場所を示し、変更した旨を付記して特に署名し、変更場所に印を押す手順が必要だ。修正液で消して上から書くだけでは、この方式を満たさない。添付した財産目録の訂正にも注意が要る。
ただし、訂正の不備があれば必ず遺言全体が無効になる、という単純な話でもない。変更の効力、元の文字が読めるか、他の記載から意味を確定できるかなどが問題になる。明らかな誤記の訂正についての判例上の扱いもある。見つけた遺言を自己判断で捨てず、現状のまま確認してもらおう。
これから自分で作る場面なら、難しい訂正を重ねるより、新しい紙に全文を書き直す方が分かりやすい。家族に解読の仕事を残さずに済む。
夫婦で相談しても、証書はそれぞれに
「どちらが先でも、残った相手に全部渡したい」。二人の考えが同じでも、一つの証書に二人分の遺言をまとめてはいけない。民法975条は共同遺言を禁止している。夫婦で一緒に考え、それぞれ別の証書を作る。
一緒の紙にまとめた方が簡単でも、片方だけが後で気持ちを変えたいとき、もう一人の意思や書面に引きずられる問題が生まれる。共同遺言を禁止する背景には、それぞれが遺言をし、撤回する自由を守る考え方がある。昭雄と令子も、話は一緒にしながら、証書は別々に用意する。
長い財産の一覧は、別紙に任せられる
土地の地番、建物の家屋番号、銀行の口座番号。書き写すうちに疲れてしまう部分には、負担を減らす仕組みがある。
2019年1月13日以降に作る自筆証書遺言は、添付する財産目録まで全部手書きにする必要はない。パソコンの一覧、登記事項証明書、通帳のコピーなどを使える。
本文とは別の紙にし、「別紙財産目録1の土地」のように対応が分かるようにする。
手書きにしなかった財産目録は、各用紙に本人が署名し、印を押す。印刷やコピーなどの記載が両面にあれば、両面で行う。
最後の一枚にだけ署名・押印すればよい、という決まりではない。
この緩和は施行日前に作られた遺言には適用されない。古い遺言書を確認するときは、今のルールだけで判定しないようにしたい。
昭雄が何度も書き間違えたのは、長い地番と口座番号だった。意思を示す本文は自分で書く一方、一覧まで全部手書きにすると負担が大きくなる。財産目録について自書を緩和した仕組みは、その負担を減らすものだ。ただし、添付した一覧が本人の用意したものだと確認できるよう、署名と印の決まりは残っている。
「家は長男へ」の先を、もう少し書く
書いた本人には、自宅と長男の顔がすぐ浮かぶ。だが、手続をする銀行や登記の担当者は、その家族を知らない。本人の頭の中にある情報を、紙へ移しておく必要がある。
不動産は登記事項を見て、所在・地番・家屋番号などで特定する。住居表示だけに頼らない。預金も金融機関・支店・口座種別・口座番号などを確認すると、対象が伝わりやすい。口座番号を書くこと自体が一律の成立条件なのではなく、「どの財産か」で迷わせないための工夫だ。
財産の一覧ができたら、次の点も書面に照らして考えたい。
- 誰に、何を相続させる・遺贈するのか。受け取る人と対象を特定できるか
- 指定した受取人が自分より先に亡くなった場合に備えるか
- 債務も調べ、遺留分や配偶者居住権、事業の引継ぎに問題がないか
- 不動産を共有にすることで、将来の売却や管理が難しくならないか
- 遺言を実行する遺言執行者を指定するか
ここからは、書式の見本を写すだけでは決まらない。同じ「平等に」という言葉でも、現金を分けるのと、一軒の家を共有させるのとでは、その後の暮らしが変わる。
気持ちを書くことと、実行を託すこと
財産の配分だけを書いた紙は、家族には冷たく見えるかもしれない。なぜそう分けたのか、何に感謝しているのか。付言事項として気持ちを残すことにも意味がある。ただ、願いを書けば何でも法的な義務になるわけではない。
一方で、「付言ならすべて法律上の効果がない」と決めつけるのも誤りだ。たとえば、民法897条は、祭祀を主宰する者を亡くなった人が指定することを認めている。見出しの名前だけでなく、何を指定した文章なのかを見る必要がある。
生前の介護の希望は、死亡によって効力が生じる遺言だけでは備えられない。ペットの世話も「よろしく」の一言で費用や引受人が決まるわけではない。負担付遺贈や信託、死後事務委任などが適するかを、目的ごとに検討する。飼育する人と費用の決め方は、ペット信託の仕組みと遺言との違いも参考になる。
昭雄は「令子が住み続けられるように」と書くだけでなく、自宅の土地と建物、ほかに私道の持分があるかも調べた。拓と奈々へ渡す予定の預金を含め、配分と遺留分(一定の近い家族に法律で保障された最低限の取り分)、実行する人も確認する。父の頭に家の姿が浮かぶことと、手続をする人が財産を特定できることは別だからだ。
書き終えた紙を、どこに置くか
大事だから、引き出しのいちばん奥へ。ところが、誰にも分からない場所にしまうと、必要なときに見つからない。遺言は、書き終えた後にもひと仕事ある。
法務局の自筆証書遺言書保管制度では、本人が出頭して保管を申請する。原本と画像データが保管されるので、紛失・隠匿・改ざんのリスクを抑えられる。保管された遺言書については、家庭裁判所の検認も不要になる。
利用するなら、書く前に用紙の条件を見ておこう。A4・片面で、所定の余白を取り、ページ番号を付けるなどの決まりがある。一般の財産目録で両面記載が認められることと、保管制度の用紙条件は区別したい。法務省の案内に沿って準備するのが確実だ。
ただし、預かってもらえたことは、内容の有効性の保証ではない。法務局の確認は書式など、外から確認できる決まりに関するもので、遺言能力、財産の持ち主、遺留分、文章の意味まで審査して保証するものではない。保管の準備と内容の確認は、両方必要だ。
法務局で保管されていない自筆証書遺言を相続開始後に見つけた場合は、原則として家庭裁判所の検認を受ける。検認も、遺言書の状態を確認する手続であり、有効と認定する裁判ではない。封印がある遺言書は、家庭裁判所で相続人または代理人の立会いなく開封できないので、そのまま手続を確認しよう。
日付を書いた後にも、家族の時間は進んでいく
子が生まれる。結婚や離婚がある。家を売る。指定した人が先に亡くなる。作ったときにはぴったりだった遺言も、暮らしと少しずつずれていく。
遺言は、法律の方式に従って全部または一部を撤回できる。前の遺言と後の遺言が抵触すれば、その抵触する部分は後の遺言で撤回したものとみなされる。新しい一通があるから古い一通が全部なくなる、とは限らない。原本の保管場所と、どの内容を残し、どの内容を変えたのかを整理しておこう。
書き直す機会には、日付と印だけでなく、受取人・財産・保管場所まで見直す。迷うところがあるなら、完成品になるまで待たなくていい。下書き、財産の一覧、家族関係が分かるメモをそろえれば、相談で確認したいことが具体的になる。弁護士・司法書士・行政書士・公証人の違いを踏まえて、内容に合う相談先を選ぼう。
昭雄は、書き終えた一通と財産の一覧を別々に見直した。令子は保管方法を調べ、奈々と拓には、必要なときに遺言の存在が分かるようにしておくことも考えた。父の希望を家族が代わりに完成させるのではなく、父自身が確かめて残す一通にする。
書式を守ること、内容を実行できるようにすること、見つかるよう保管すること。どれか一つだけで全部が済むわけではない。日付の一行にも、財産目録の署名にも、残された家族が本人の意思を確かめるための役割がある。
確認に使える公的資料
ほかにも確認する手続がある場合は、遺言の作成・解釈・執行の関連ガイドから目的に合う説明を探せる。
よくある質問
自筆証書遺言の本文をパソコンで作れますか
本文は本人が手書きする必要がある。パソコン等を使えるのは添付する財産目録で、自書しない目録の各用紙に本人の署名・押印が必要だ。自書によらない記載が両面にある場合は両面に行う。
日付を「令和8年9月吉日」と書けますか
その記載では作成日を特定できず、日付の条件を欠く。作るときは実際の作成年月日を本人が手書きしよう。
夫婦で同じ証書に遺言を書けますか
民法975条は共同遺言を禁止している。夫婦でも、それぞれ別の証書を作る。
法務局で保管すれば内容も有効と保証されますか
有効性までは保証されない。書式など、外から確認できる決まりの確認と保管を行う制度であり、遺言能力、財産の持ち主、遺留分、文言の意味などは別に確認する必要がある。
訂正方法を間違えると遺言全体が無効になりますか
必ず全体が無効になるとは限らない。訂正の内容、元の記載が読めるか、他の記載から意味を確定できるかなどによる。見つけた遺言はそのまま保全し、個別に確認する。
本記事は一般的な情報提供です。方式、遺言能力、遺留分、財産の特定や文言解釈は個別事情により異なるため、必要に応じて弁護士・司法書士・公証人等へ確認してください。



