家族信託の契約書では、誰のために、何を任せ、管理する人が交代したらどうするかを決める。家の名義を子へ移すことだけで終わらせず、契約後の暮らしと支払いまで考えよう。
「いずれ実家を売って、施設のお金にしてほしい」。父の良平は、娘の千尋へそう頼んだ。弟の航平も賛成している。ただ、千尋が契約書のひな形を開くと、「売ってよい」と書くだけでよいのか分からなくなった。父はまだ住んでいる。明日売ってほしいわけではない。
千尋は、父のための管理を引き受けたい。航平は、姉が一人で財産を抱え込み、最後に何が残ったか分からなくなることが心配だ。以下は家族信託の契約を考える架空の家族で、金額も説明用の仮定である。
まず「何を実現したいか」を具体的にする
家族信託は、財産を託す委託者、管理する受託者、利益を受ける受益者という役割で成り立つ。父が財産を託し、子が管理し、父自身が生活費や介護費を受け取る設計もある。
目的を「財産管理」とだけ書くより、父の生活・療養に必要な費用を確保する、空き家になった実家を売却して施設費に充てる、といった希望を整理する。その目的が、受託者の権限や判断の基準になる。
信託で扱うのは財産の管理・処分等だ。医療行為への同意など、本人に関わるすべての判断を受託者が代わりにできる制度ではない。遺言や任意後見等との役割分担は、家族信託の基本も参考にしてほしい。
名義を移すのに、なぜ娘のお金にはならないのか
良平が委託者であり受益者、千尋が受託者になる設計を考える。千尋は、父のために財産を扱う役目を引き受ける。父から娘への普通の贈与なら、娘が自分のために使う財産となるが、この設計の信託では、娘は父の生活のために管理する。
もし、管理を任せた瞬間に全部が娘の自由なお金になるなら、父は安心して任せられない。反対に、支払のたびに父本人の新しい判断が必要な仕組みだけなら、判断能力が下がった後の管理に困る。目的に沿った権限を任せつつ、娘自身の財産と区別し、何に使ったかを説明する仕組みが必要になる。
契約書を作る前に用意する資料
- 委託者・受託者・受益者の氏名、住所、関係と役割。
- 不動産の登記事項証明書、固定資産の評価資料、借入れや担保の資料。
- 信託に入れる金銭の額と、移転元・管理先の予定。
- 毎月の生活費、介護費、修繕費などの支払いの見通し。
- 受託者が続けられなくなった場合の候補者と、終了時に財産を受ける人。
財産の総額だけでなく、信託に入れず本人の手元に残すお金も考える。父の預金をすべて移した後で、本人名義の口座からの引落しに困る、といった事態は避けたい。ローン付き不動産は、債務(借金など、支払い等をしなければならない義務)や担保、金融機関との契約を別に確認する。
「月10万円足りない」を、契約の使い道へ落とす
良平の年金等の収入を月16万円、施設費や日用品等の支出を月26万円と仮定すると、不足は月10万円だ。これが5年間続けば、10万円×12か月×5年=600万円。別に入居時の支出200万円を予定するなら、計800万円が必要になる。料金上昇、医療費、修繕費や契約・管理の費用は、まだ入れていない概算だ。
信託に入れる金銭を800万円にすれば必ず足りる、という意味ではない。いつ不足しそうかを見て、家を売る条件や時期、本人の手元に残す資金を考えるための計算だ。家を残すことだけを優先して売却を強く制限すると、父の支払に使いたいときに使えない契約になり得る。
契約書に盛り込む主な項目
目的・当事者・信託財産
誰のどの財産を、何のために管理するのかを明確にする。不動産は登記の表示に対応する目録を付け、金銭は額や移転方法を定める。「父の財産全部」という表現だけで、銀行や登記の手続がそのまま進むとは限らない。
委託者と受益者が同じか、異なるかによって税金を計算するときの検討も変わる。管理する人の名義へ移すことと、その人に財産の利益を贈与することは分けて考える必要がある。
受託者ができることと、してはいけないこと
預金の管理、生活費の支払い、賃貸、修繕、売却など、想定する行為を具体的に定める。信託法26条は目的達成に必要な管理・処分等の権限を認めるため、個別の行為を書かなければすべて権限がなくなる、というわけではない。
それでも、売却や担保設定を予定するなら明確化する意味は大きい。取引相手が権限を確認でき、家族間でも認識をそろえやすくなる。逆に、実家を売るには一定の条件や同意を必要とするなら、その制限が将来の資金確保を妨げないか検討したい。
給付・管理費用・報酬・報告
受益者へいくらをどのように渡すか、施設や病院への直接払いをどうするか、臨時の支出を誰が判断するかを決める。受託者の立替費用の精算と、管理の対価である報酬は別の項目だ。
任された財産は、自分の財産と分けて管理する。これが信託法34条の「分別管理」だ。37条では、帳簿や報告書類などを作ることも定めている。
残高だけでなく、何にいくら使ったかを説明できるようにする。いつ受益者へ報告し、誰が確認を助け、どこに資料を保管するかも決めておく。
例えば千尋が施設へ月26万円を支払うとき、父の年金等で払う部分、信託から補う部分、自分が一時立て替えた部分を分けて記録する。通帳の残高が減った理由を航平もたどれるようにすれば、「姉が使った」という一言で片付かない。航平が確認を助ける役割を担うなら、閲覧や報告の権限を契約でどう設けるかも確認する。弟だから自動的にすべて見られる、と扱わない。
受託者の交代と引継ぎ
受託者の死亡や病気、辞任などを想定し、後継者の指定や選任方法を定める。名前を書くだけでなく、本人に引き受ける意思があるか、実務を続けられるかも確認する。
口座、帳簿、まだ払っていない費用、賃貸借等の契約をどう引き継ぐかが重要だ。受託者が亡くなっても、信託財産をその人の通常の相続財産として家族で分けるわけではない。
千尋が急に入院した場合を想像すると、交代条項の意味が分かる。「姉に頼んだから大丈夫」で止めると、翌月の施設への支払を誰が行うのかが宙に浮く。航平を後継候補にするなら、役割を理解して引き受けられるか、銀行で交代の手続ができるか、資料をどこから取り出すかまで決めておく。
公正証書にする前に、金融機関と内容をすり合わせる
一般的な信託契約は、公正証書でなければ一律に無効になるものではない。信託法3条・4条は、契約、遺言、自己信託を区別している。自己信託に関する方式を、親子間の信託契約へそのまま当てはめないようにする。
一方、口座開設に当たって公正証書や指定の条項を求める金融機関もある。公正証書の作成後に銀行から修正を求められると、手間や費用が増えかねない。契約案の段階で、予定する金融機関に取扱いを確認する。
口座名だけでなく、入出金の範囲や受託者の交代時の扱いも照らし合わせる。具体的な確認項目は信託口口座と専用口座の違いにまとめている。
公正証書にすれば、どのような内容でも有効になったり、家族間の争いがなくなったりするわけではない。本人が契約の意味を理解して意思決定できるか、財産や目的に合う内容かを確認することが前提だ。
契約に署名した後も、財産を移す手続が残る
契約の効力と、財産の移転・登記・口座開設は分けて確認する。契約書が完成したことだけで、預金が自動的に移動するわけではない。不動産は契約に沿った所有権移転や信託の登記を、金銭は入金と記録の作成を進める。
契約日、送金日、登記の内容、管理開始時の残高を対応させる。受託者の個人財産と混ざった状態で始めると、後から説明しにくくなる。最初の財産目録と帳簿を作るところまで、依頼範囲に含むか確認したい。
変更条項は、判断能力が低下した後の使い方も考える
契約の変更は、まず委託者・受託者・受益者の合意による方法がある。ただし、信託法149条は、目的や利益に関する条件を満たす場合に別の方法も認めている。契約で別の定めを置くこともある。
「必ず三者の合意が必要」とも、「管理する子だけで自由に変えられる」とも考えず、どの方法を使えるかを確認する。
ただし、本人の判断能力が低下した後も、子が自由に契約を書き換えられるわけではない。誰の意思表示や同意が必要か、変更できる範囲はどこまでかを検討する。第三者の同意を設ける場合も、その人が不在になったときまで考えておく。
受託者の住所の変更と、受益者や最終的な財産の受取人を変えることは、影響が違う。家族の都合だけで本人の希望を覆す内容にならないよう、変更後の法律・税務への影響も確認する。
終了条件と、残った財産の渡し方を決める
受益者の死亡など、どの時点で信託を終えるかを定める。信託法163条には、目的の達成・達成不能など法律上の終了事由もある。後継受託者がいない状態を放置することも、継続に影響する。
信託が終わっても、残高をすぐにすべて分けられるとは限らない。続いている仕事を終え、受け取るべきお金を回収し、借金や未払いなどを整理してから、残る財産を渡す。信託法177条等に沿って進める。
最後の収支計算や、資料を次の人へ渡す作業も必要になる。
最後に残った財産を受ける人は182条の仕組みを踏まえて定め、その人が先に亡くなった場合も検討する。不動産をそのまま渡すか、売って金銭で渡すかによって必要な手続も変わる。名義変更、口座解約、税務の確認を誰が担い、その費用をどこから出すかまで整理したい。
良平が亡くなったとき、口座に500万円残り、信託が負担すべきまだ払っていない費用が40万円あると仮定する。他の清算事項・費用・税務を除いた単純な差額は460万円だ。500万円全部を先に家族へ渡すと、後から40万円の支払に困る。終了条件と最後に残った財産の受取人に加え、「渡す前に何を払うか」を決めるのは、このためでもある。
ひな形は、必要な項目を見つけるために使う
他の家庭の契約を写すと、使わない権限まで広く認めたり、必要な売却や支払いを制限したりすることがある。税金が自動的に安くなる制度でもない。委託者・受益者の組合せや引き継ぐ場面を、税務も含めて確認する。
相談するときは、「この書式でよいか」だけでなく、今後の生活費、売却の予定、管理者が交代した場合、終了後の渡し先を伝える。契約書作成、公正証書、口座・登記、継続管理のどこまで支援を依頼するかも明確にするとよい。家族が使い続けられる契約にすることが、作成の目的だ。
良平、千尋、航平は、契約案を読むときに「誰が得をするか」だけを見ないことにした。父が住んでいる間、施設へ移るとき、千尋が管理できないとき、父が亡くなった後。この四つの場面で、支払う人と確認する人、必要な資料を一つずつ確かめる。父の希望を、家族が実行し続けられる形にするためだ。
父の生活費と、手元に残すお金を確かめる。
家を売る条件と、施設費を払う方法を決める。
次の管理者と、口座・帳簿の引継ぎを決める。
未払いなどを整理してから、残る財産を渡す。
これは契約で確認する場面の整理だ。信託が終わる条件、売却・交代に必要な手続や同意は、契約と法律に沿って個別に確認する。
公的資料・根拠
ほかにも確認する手続がある場合は、家族信託・成年後見の関連ガイドから目的に合う説明を探せる。
よくある質問
家族信託の契約書は必ず公正証書にしますか
一般的な信託契約で一律に必須とは限らない。ただし、金融機関が口座開設の条件として求める場合などがあるため、契約案の段階で確認する。
ひな形に名前を書けば使えますか
財産、目的、権限、交代、変更、終了時の扱いが家族の事情に合うかを確認する必要がある。銀行や登記の手続との整合も確認する。
契約書への署名で預金も移りますか
署名だけで預金が自動的に移動するわけではない。契約に沿った送金、口座の準備、残高や財産目録の記録などを行う。
受託者が売却できると書かなければ、一切売れませんか
信託法26条は目的達成に必要な権限を認める。ただし、目的や契約上の制限が関わるため、予定する売却等は権限と条件を具体化しておくことが大切だ。
認知症になった後でも契約は変更できますか
契約条項と法律上の手続、必要な意思表示や同意、変更の内容による。受託者が自由に変更できるわけではないため、能力低下後の運用を作成時に検討する。
信託が終了したら残高をすぐ分配してよいですか
継続中の事務や債務等を整理し、清算の手続を経て最後に残った財産を渡す。受取人、名義変更、費用、最終の計算まで確認する。
本記事は一般的な情報提供です。個別の対応は、亡くなった日、財産・家族関係の資料を示して弁護士・税理士等へ確認してください。



