申告書の控えを机に出したところで、「相続税の税務調査は8割超」という見出しが目に入る。十人のうち八人以上に調査が来るのか。自分の申告も、どこか間違っているのか。そう読めてしまう数字だ。
けれど、82.3%の分母は、相続税を申告した人全員ではない。調査対象に選ばれ、実地調査を受けた案件だ。数字が大きいことと、自分が調査を受ける確率が高いことは、同じ話ではない。
この数字から始めて、申告書のどこを確かめればよいのかを見ていこう。最後に手元に残したいのは、調査が来ないという根拠のない安心ではなく、財産の額と、その根拠を説明できる資料だ。
82.3%は、7,826件を9,512件で割った数字
国税庁が2025年12月に公表した令和6事務年度の統計では、相続税の実地調査は9,512件、申告漏れ等の非違があったのは7,826件。その割合が82.3%になる。
国税庁は、資料情報等から申告額が過少と想定される事案や、申告義務があるのに無申告と想定される事案などを調査したと説明している。無作為に申告者を選んで調べた結果ではない。
したがって、「申告者の82.3%が調査される」「相続した人の82.3%が誤っている」とは読めない。この統計には無申告と想定された事案も含まれ、単純に申告件数と並べて個人の調査確率を出すこともできない。
公表されているのは調査の件数や結果、取組の概要だ。個別の選定点数や判定の仕組みまで分かるわけではない。「この額なら来ない」「死亡から2年過ぎれば大丈夫」といった線引きも、この数字からは導けない。
調査事例の入口は、残高ではなく出金だった
同じ国税庁資料には、死亡前の多額の出金をきっかけに調査した事例が載っている。相続人は現金が残っていないと説明したが、その後、自宅の金庫で現金が見つかった。税理士にも存在を伝えず、申告から外していた事案だ。これは当事務所の相談実績ではなく、国税庁の公表事例である。
この事例から、出金がすべて問題だと結論づける必要はない。医療費や介護費など、実際に使ったお金もある。見るべきなのは、通帳から出た後、そのお金がどこへ行ったかだ。
残高証明書は、ある日の残高を示す。しかし、出金した現金が別の場所に残っているか、家族へ渡したのか、支払に使ったのかまでは教えてくれない。申告前に確認する資料が、残高証明だけでは足りない理由がここにある。
通帳の一行に、日付・使途・資料を付けていく
まとまった出金を見つけたら、「父が使ったはず」で片付けず、分かる範囲で日付、金額、出金した人、渡した相手、目的を整理する。領収書や振込先、家族の記録とつながるものは、その資料も残す。
分からない部分を、もっともらしい説明で埋める必要はない。分からないと明示して、追加の履歴や資料を調べる。後から帳尻の合う領収書や贈与契約書を作ることは、備えにはならない。
現金を発見したときの記録や扱いは、相続のタンス預金でも説明している。申告後に見つかったなら、相続時に存在した財産なのか、提出済みの申告に含まれているのかを税理士と確認したい。
点検は、出金のほかに三つの方向へ広げる
名義だけで、財産一覧から外していないか
預金、証券、保険、現金、不動産のほか、貸付金、未収金、非上場株式、暗号資産、国外財産なども対象を確かめる。被相続人の名前が付いた口座だけを集めれば終わりではない。
家族名義でも、原資、管理、利益の帰属、贈与の合意や実際の履行などから、被相続人の財産かどうかを検討する必要がある。反対に、親が通帳を預かっていたという一事情だけで、家族の財産をすべて親のものと決めることもできない。
生前贈与や相続時精算課税を利用していた場合は、贈与日、取得者、届出・申告書も集める。贈与税がかからなかったことと、相続税の計算で確認が不要なことは別だ。
評価の数字を、計算過程までたどれるか
土地や貸付物件、非上場株式などは、採用した評価方法とその前提資料を保管する。利用状況、契約、会社の決算資料など、評価を支える事実が重要になる。
税理士に依頼した場合も、家族しか知らない使い方や契約があれば伝える必要がある。「任せたから説明不要」では、計算の前提そのものが欠けることがある。判断が分かれる点は、何を根拠にどの処理をしたかを確認しておこう。
特例や控除は、使った理由も残っているか
小規模宅地等の特例、配偶者の税額軽減、債務控除、葬式費用などは、項目名だけで適用できるわけではない。誰がどの財産を取得したか、利用状況や分割の状態、支払の内容などを、要件に沿って確かめる。
税額がゼロになった場合も、申告が必要な特例を使っていないかを見る。家族に説明するときも、最終的な税額だけでなく、どの資料で判断したのかを残しておくと、後で確認し直しやすい。
税務署から電話が来たら、最初に「何の連絡か」を確認する
税務署からの電話が、すべて実地調査の通知とは限らない。国税庁は実地調査のほか、文書、電話、来署依頼などによる簡易な接触も公表している。また、調査としての連絡と、行政指導として自発的な見直しを求める連絡は区別される。
担当者には、どちらの手続か、何について確認を求めているかを聞く。税務署名、部署、担当者名、日時、対象事項、求められた資料と期限を記録する。申告を依頼した税理士がいるなら、書面や電話の内容を共有したい。
実地調査は原則として事前通知があるが、法令に定める事情によって通知なしで行われることもある。入院や業務上のやむを得ない事情など、日程を変える合理的な理由があれば、担当者へ変更を協議できる。
通知を受けたからと資料を捨てたり書き換えたりせず、質問と回答、提出した資料の控えを残す。税務調査の通知から修正申告までの流れも、手続の段階を整理する参考になる。
申告漏れと重加算税は、別に判断する
統計の「非違」は、申告漏れなどがあったという分類だ。非違があることだけで、すべて重加算税になるわけではない。重加算税には、隠蔽・仮装と、それに基づく過少申告や無申告などの要件がある。
名義預金の帰属や財産評価に争いがあることと、事実を隠したり偽ったりしたことは、分けて確認する。詳しい要件は相続税の重加算税を参照してほしい。
誤りが分かった場合は、修正申告と納付の要否を早めに検討する。調査通知の前後、調査による更正を予知したかなどで、加算税の扱いが変わることがある。税務署からの連絡の性質と日付を残す意味は、ここにもある。
一方、調査結果に納得できない点があるなら、根拠を確認せず修正申告するのも避けたい。修正申告の勧奨に応じるかは任意であり、自分で提出した修正申告そのものに不服申立てはできない。過大だった場合の更正の請求とは別の手続だ。税理士や弁護士と、争点と対応方法を整理する。
納付資金の問題も同時に確認する。相続税の延納には要件と申請期限があり、後からいつでも使える制度ではない。申告の訂正と、利用可能な納付方法の相談をそれぞれ進めたい。
相談には、きれいな一覧と、説明の付かない一行を持っていく
申告前なら財産一覧、預金の履歴、贈与の資料、評価や特例の根拠を用意する。申告後なら提出済みの申告書一式と、税務署から届いたもの、気づいた誤りの資料も加える。
「この出金の使途が分からない」「家族名義の口座を入れるべきか迷っている」「税務署からこの連絡が来た」と具体的に伝えれば、最初に調べる部分を絞りやすい。すべてを説明できるまで、相談を待つ必要はない。
82.3%を何度見直しても、自分の申告書の誤りは見つからない。いま確かめられるのは、通帳の一行と、その後のお金の行き先だ。資料に戻ることが、数字に振り回されないための最初の備えになる。
公的資料・根拠
よくある質問
申告者の82.3%が税務調査を受けるのですか
違う。令和6事務年度の実地調査9,512件のうち、申告漏れ等の非違があった7,826件の割合だ。申告者全体の調査確率ではない。
名義預金があれば必ず調査されますか
必ずとはいえない。個別の選定基準までは公表されていない。申告では原資、管理、贈与の合意や履行など、財産の帰属を確認する。
死亡から1年か2年で調査が来ますか
固定された時期ではない。この公表統計から、個別案件の調査時期を決めることはできない。
税務署から電話が来たらすぐ修正申告しますか
まず調査か行政指導か、確認事項と連絡日を記録する。誤りの有無と修正申告の要否を税理士等と確認する。
申告漏れがあれば必ず重加算税ですか
必ずではない。隠蔽・仮装と、それに基づく申告等の要件を別に判断する。
本記事は一般的な情報提供です。個別の申告・税額・対応は、相続開始日、申告状況、税務署の連絡内容と資料を示して税理士・弁護士へ確認してください。



