遺産の使い込みとは、相続人などが被相続人の意思や正当な権限に基づかず、預貯金や現金を自分のために取得・処分したとして問題になる状態です。
最初にすることは、犯人だと決めつけることではなく、取引履歴を確保し、疑わしい出金と正当な支出を分けることです。出金時期、操作した人、受取人、使途、被相続人の意思・判断能力を資料で確認します。
相続開始後に預金残高が予想より少なくても、それだけで誰かの使い込みとはいえません。医療費、施設費、生活費、本人の贈与、別口座への移動など、説明できる取引もあります。一方、取引資料は保存期間があり、時間がたつほど確認が難しくなるため、客観的な資料の確保は早めに始めます。
まず行う5つの確認
- 対象口座を洗い出す:通帳、キャッシュカード、郵便物、確定申告書、口座振替の記録から金融機関と支店を特定します。
- 取引履歴を取得する:死亡日時点の残高だけでなく、疑いのある期間の入出金を確認します。
- 出金を分類する:ATM、窓口払戻し、振込み、自動引落し、口座間移動を分けます。
- 使途の資料を当てる:医療・介護・生活費の領収書、請求書、別口座への入金と照合します。
- 被相続人の状況を時系列にする:入院・入所、要介護認定、判断能力、通帳や印鑑の管理者を整理します。
疑わしい出金だけを抜き出すのではなく、その期間の通常の収入と支出も並べます。生活費の水準や定期的な支払が見えると、異常な取引を説明しやすくなります。
一人の相続人でも取引経過の開示を求められる
最高裁平成21年1月22日判決は、共同相続人の一人が、被相続人名義の預金口座の取引経過について、ほかの共同相続人全員の同意がなくても開示を求める権利を単独で行使できると判断しました。
もっとも、実際の手続では、被相続人との関係が分かる戸籍、請求者の本人確認書類、銀行所定の申請書、手数料などが必要になります。取得できる期間や、払戻請求書・振込依頼書など追加資料の保存状況も銀行ごとに異なります。
取引履歴は「いつ、いくら動いたか」を示しますが、「誰が最終的に受け取ったか」「何に使ったか」まで常に示すものではありません。窓口書類、振込先、ATMの場所、出金後の入金、当時のメッセージなどを組み合わせます。
使い込みの立証で重要な資料
払戻者・受取人を確認する資料
- 通帳、取引履歴、残高証明書
- 払戻請求書、振込依頼書、送金先口座
- 通帳、届出印、キャッシュカードの保管状況
- ATM利用場所、同日の行動記録
権限や被相続人の意思を確認する資料
- 委任状、財産管理契約、家族間のメッセージ
- 診療記録、介護記録、要介護認定資料
- 贈与契約書、手紙、贈与税申告資料
- 本人が自ら同様の取引をしていたことを示す過去の記録
使途を確認する資料
- 医療費、介護費、施設費、生活費の領収書
- 本人名義の別口座への入金記録
- 自宅の修繕費、税金、保険料などの請求書
- 相手方名義口座への入金や相手方の購入記録
引出しをした人と、利益を得た人が別の場合もあります。ATM操作を手伝っただけの人へ全額返還を求められるとは限らないため、資金の行き先を確認することが重要です。
生前と死亡後で請求の構造が異なる
生前の無断出金
被相続人の生前の無断出金では、被相続人が取得した不当利得返還請求権や不法行為に基づく損害賠償請求権を、相続人が承継したと構成することがあります。各相続人が請求できる範囲は、原則として自分の法定相続分に応じて検討します。
死亡後の無断出金
死亡後、遺産分割前の無断出金では、他の相続人が自己の持分を侵害されたとして請求することがあります。民法906条の2の要件を満たす場合は、処分された財産を遺産分割の対象に含める方法もあります。
名古屋家庭裁判所は、無断解約・引出しの責任追及は原則として不当利得返還請求訴訟などの民事裁判で扱うと案内しています。遺産分割調停を申し立てれば家庭裁判所が使途不明金をすべて調査してくれる、という制度ではありません。
回収方法は協議・遺産分割・民事訴訟から選ぶ
- 説明と資料の提示を求める:対象期間と取引を特定し、何に使ったかを尋ねます。
- 協議で精算する:相手が取得を認める場合は、返還額、支払期限、遺産分割での調整方法を合意書にします。
- 遺産分割で扱えるか確認する:死亡後の処分について民法906条の2の要件を満たすかを検討します。
- 民事訴訟を検討する:払戻者、金額、権限、使途に争いがある場合は、不当利得返還請求や損害賠償請求を検討します。
相手方に全取引を一括して説明するよう求めるだけでは、争点が曖昧になります。「何年何月何日の何円の出金」まで特定し、確認済みの支出と争う支出を分けることが、協議でも訴訟でも有効です。
時効は請求原因と時期で変わる
現在の民法では、不当利得返還請求権などの一般の債権は、原則として、権利を行使できることを知った時から5年、または権利を行使できる時から10年で時効により消滅します。不法行為に基づく損害賠償請求権は、原則として、損害と加害者を知った時から3年、または不法行為の時から20年です。
2020年4月1日より前に発生した権利には改正前民法や経過措置が関係します。出金日、被相続人の死亡日、発見日、相手方を特定した日が重要になるため、「使い込みは10年まで」と一律に判断しないでください。
資料を消さずに相談へ持参する
通帳や領収書へ直接書き込まず、原本はそのまま保管します。時系列表には、日付、金融機関、金額、取引種別、想定される操作人、説明された使途、対応する証拠、未確認事項を記載します。
相談時には、相続関係の戸籍、遺言書、遺産分割協議書、取引履歴、医療介護記録、相手方とのやり取りをまとめて持参すると、請求可能性と不足資料を検討しやすくなります。
公的資料・裁判例
- e-Gov法令検索「民法」(166条、703条、704条、709条、724条、906条の2)
- 名古屋家庭裁判所「遺産分割調停」(無断解約・引出しの取扱い)
- 最高裁判所平成28年12月19日決定(預貯金債権と遺産分割、取引経過開示判例への言及)
よくある質問
預金残高が減っていれば、同居していた相続人の使い込みですか
同居や通帳管理だけでは決まりません。誰が出金・受領したか、被相続人の承諾があったか、本人のために使われたかを資料から確認します。
家庭裁判所に遺産分割調停を申し立てれば、使途不明金を調べてもらえますか
原則として、使途不明金の責任追及は民事裁判の問題です。死亡後の処分で民法906条の2の要件を満たす場合など、遺産分割で扱える例外があります。
使い込みの証拠は通帳だけで十分ですか
通帳は出金の事実を示しますが、払戻者、受取人、権限、使途まで示さないことがあります。払戻資料、振込先、医療介護記録、領収書などを組み合わせます。
遺産の使い込みを取り戻せる期限は何年ですか
請求原因、権利の発生時期、発見時期によって異なります。不当利得と不法行為でも期間が異なり、2020年4月より前の権利には経過措置が問題になります。
※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の法律・税務アドバイスではありません。具体的な判断は、資料を確認できる弁護士・税理士などの専門家にご相談ください。



