銀行などの商品名でいう「遺言信託」は、一般に遺言の作成支援・保管・執行を組み合わせたサービスだ。遺言で財産を信託する、信託法上の仕組みとは通常別のものになる。
生前のお金の管理、家族の争い、税金や登記まで含まれるとは限らない。契約で何を頼めるかを確認する。以下は、父の信夫と娘の理沙・由衣をめぐる架空の例だ。
信夫は、銀行でもらった「遺言信託」のパンフレットを長女の理沙へ渡した。「これを頼めば、あとで二人が困らないだろう」。妻には先立たれ、理沙は実家で父と暮らし、次女の由衣は遠方にいる。父は、家を理沙へ、預金を由衣へ渡したいと考えていた。
理沙は、入院したときの父のお金の管理まで銀行に任せられるのだと思った。由衣は、父の決めた分け方に疑問が出ても銀行が解決してくれるのか気になった。信夫自身は、作成時に払う費用だけを見ていた。三人が期待したことは、それぞれ違っていた。これは架空の家族の話だ。
遺言を書くことと、亡くなった後に実行することは違う
信夫が「家は理沙、預金は由衣」と遺言に書いても、亡くなった後に自分で名義変更や財産の引渡しをすることはできない。書いた希望を、実際の手続へ移す人と仕組みが必要になる。
遺言執行者は、その遺言の内容を実現するための仕事を担う。家族で協力して進めにくい場面などで、担当する人を明確にする意味がある。銀行のサービスは、その執行や、遺言の作成支援・保管を契約の範囲で頼む選択肢だ。
ただし、手続を実行する担当者がいることと、家族全員が分け方へ納得していることは別である。遺言が有効か、財産が誰のものか、遺留分(一定の近い家族に法律で保障された最低限の取り分)のお金の請求があるかといった争いが、依頼だけで消えるわけではない。
「遺言信託」という言葉が指すもの——二つの意味が重なっている
信託法3条2号が定める「遺言による信託」は、遺言によって受託者(信託で財産を預かり、決められた目的に沿って管理する人)へ財産を移し、定めた目的に従って管理・処分させる仕組みだ。受託者、受益者、信託目的、信託財産を設計する点で、遺言書の保管や執行を代行するサービスとは制度の構造が違う。
一方、信託協会の案内する金融機関の遺言信託は、遺言書の作成支援、保管、執行などのサービスだ。同協会のQ&Aも、一般には信託法上の信託契約ではないと説明している。名前だけで財産管理の法的仕組みを判断しない。
パンフレットに「遺言信託」とあったら、遺言の作成支援・保管・執行のサービスなのか、信託法に基づいて財産を管理する仕組みなのかを確認する。名前が同じでも、頼めることは同じとは限らない。
サービスの中身——何が含まれ、何が含まれないか
金融機関の遺言信託サービスでは、一般に、まず財産・家族関係・遺言の内容を相談する。公正証書遺言の原案や資料の準備を支援してもらい、公証人が遺言公正証書を作る。その後は、金融機関が正本等を保管し、内容に変更がないかを定期的に確かめる。
亡くなったことの通知を受けた後は、就任条件を確認して遺言執行者に就く。財産目録の作成、名義変更、売却、引渡しなど、契約で決めた業務を進める。
ただし、これはあくまで一般的な流れであり、すべての金融機関・商品に共通する保証ではない。信託協会「遺言・相続関連業務のQ&A」でも、相続開始時に執行が非常に難しい場合は就任を辞退することがあること、身分行為に関する執行は行えないこと、保管だけの商品もあることが案内されている。
ここで、約款の「就任辞退」という条項に目を向けてほしい。執行が非常に難しいとは、具体的にどういう状態を指すのか。紛争が生じていれば対象外になるのか。この判断基準は商品によって異なり、契約書・約款を読まなければ分からない。「申し込んだから安心」という前提で進めると、相続が始まったときに想定と違う局面に直面することがある。
理沙は、父が入院したら、その日から銀行が医療費の支払いや賃貸物件の管理をしてくれるのかと質問をメモした。遺言の執行は亡くなった後の仕事だ。生前の財産管理まで希望するなら、その業務が別の契約や仕組みとして用意されているか、権限と開始時期を確認する必要がある。商品名だけから補って考えない。
遺言執行者への就任は、申込みで自動的には決まらない
民法1006条により、遺言者は遺言で一人または数人の遺言執行者を指定し、または第三者へ指定を委託できる。遺言信託サービスに申し込んだだけで、自動的に銀行が遺言執行者になるわけではない。遺言での指定と、相続開始後の就任が必要だ。
就任した遺言執行者は、民法1012条により、遺言内容を実現するため相続財産の管理その他必要な一切の行為をする権利義務を持つ。また、民法1013条により、遺言執行者がある場合、相続人は遺言執行を妨げる行為をできない。ただし、この権限は遺言内容と対象業務の範囲に即して判断する。すべての財産・すべての紛争に対応できるわけではない。
契約前に確かめる7項目
サービスの内容は金融機関・商品によって異なる。同じ「遺言信託」という名称でも、対象財産の範囲や費用の構造は一律ではない。契約前に、少なくとも次の七点を確認する。
- 対象となる遺言方式
- 公正証書遺言のみか、自筆証書遺言も扱うか。
- 対象財産
- 不動産、非上場株式、国外財産、事業用資産などを扱えるか。
- 執行者への就任条件
- 就任を辞退する条件、補助者・他士業を使う条件。
- 紛争時の取扱い
- 遺言無効、遺産範囲、遺留分などの争いが生じた場合にどう対応するか。
- 費用
- 契約時・保管中・変更時・執行時の報酬、最低報酬、実費、他士業費用。
- 変更・解約
- 遺言を書き換える際の連絡、契約変更、解約、既払費用の扱い。
- 死亡通知
- 誰が、どの資料で、いつ金融機関へ死亡を知らせるか。
費用については、根拠のない一般相場で判断しない。同じ財産一覧と希望業務を示して、複数の金融機関から総額の試算を取り寄せて比較する。
信夫は、作成時の手数料だけでなく、「保管料が何年分か」「変更したらどうなるか」「亡くなった後の執行報酬は最低いくらか」「税や登記を頼む費用は別か」を一枚の見積りで確認することにした。今の入口の値段だけを比較すると、後に由衣や理沙が負担する費用が見えなくなるからだ。財産が変わる場合の計算や、報酬をどこから払うかも確かめたい。
「争いを防げる」は、どこまで本当か
適式な遺言と第三者による保管・執行は、遺言書の紛失や発見の遅れ、執行事務の負担を抑える手段にはなり得る。しかし、遺言能力、遺言の解釈、遺産の範囲、遺留分侵害額請求などの争いがなくなることを保証する制度ではない。
信託銀行等の業務では、法的紛争が生じている遺言執行を対象外とする取扱いや、執行が非常に難しい場合に就任を辞退する取扱いがある。具体的な約款・契約書で確認し、紛争性のある法律問題は弁護士への相談を分けて検討する。
遺言どおりに実行されても、一定の相続人の遺留分を侵害していれば、財産を受け取った人などへ、お金の請求がされることがある。銀行を遺言執行者にしただけで、遺留分の問題が消えるわけではない。
特定の相続人へ大きく配分する場合や事業承継を目的とする場合は、対象財産の評価、支払いに使うお金、生命保険、遺留分侵害額請求への対応まで別に検討が必要になる。相続対策は何から始める?生前に確認する7項目と相談先では、遺言作成の前に確かめる項目を整理している。
由衣は、父が姉へ家を残したい理由は理解していた。しかし、家と預金の価値が大きく違ったら、自分の取り分はどうなるのか。銀行が遺言を実行する話と、この疑問に答える話を一つにしてはいけないと分かった。父の希望、財産の評価、遺留分や支払いに使える資金は、遺言の内容を考える段階で別に確かめる必要がある。
遺言を書き直したとき、サービス契約はどうなるか
民法1022条により、遺言者はいつでも遺言の全部または一部を撤回できる。後の遺言が前の遺言と抵触する場合などは、抵触部分が撤回されたものとみなされる(民法1023条)。
ただし、遺言を法的に撤回・変更できることと、金融機関との保管・執行サービス契約の変更・解約、費用精算は別の問題だ。新しい遺言を作成したら、保管先、遺言執行者の指定、死亡通知人の登録も一緒に更新する必要がある。この更新を忘れると、古い遺言が保管されたまま、新しい遺言の執行体制が整っていないという状態になりかねない。
遺言の内容を変えたいと思ったとき、まず金融機関への連絡と契約変更の手順を確認する。遺言書の付言事項とは|法的効力・書ける内容・注意点では、遺言書に書ける内容の範囲についても整理している。
公正証書遺言・法務局保管との位置づけの違い
遺言書の保管方法は一つではない。それぞれが何を保証し、何を保証しないかを分けて理解しておく。
公正証書遺言は、公証人が作成し、証人2人以上が立ち会い、原本を公証役場側で保管する。日本公証人連合会「遺言」で手続の概要を確認できる。遺言執行サービスそのものではない。
自筆証書遺言書保管制度は、法務局が自筆証書遺言を保管し、方式を外形的に確認する制度だ。法務省「自筆証書遺言書保管制度について」に手続の詳細がある。保管された遺言書は家庭裁判所の検認が不要になるが、内容の法的有効性や遺言執行を保証する制度ではない。
金融機関の遺言信託は、契約したサービスの範囲で作成支援・保管・執行を組み合わせる。どの財産が対象になるか、執行者が就任する条件はどこに書いてあるかを、契約書・約款で確認する。
認知症が進んだ状態で署名した書類の有効性が問題になることもある。認知症の相続人が署名した遺産分割協議書(遺産の分け方について相続人同士で合意した内容を書く書類)は有効か|意思能力と証拠では、意思能力と証拠の関係を整理している。
パンフレットの「信託」を確かめてから、次の一歩へ
信夫たちは、まだ申し込む金融機関も、使うサービスも決めていない。それでも、同じパンフレットを見ながら別々の約束を期待していたことには気づけた。信夫は遺言を実行する体制、理沙は父の生前の管理、由衣は配分と紛争時の対応。それぞれを質問に分け、契約のどこまでに含まれるか確かめることにした。
その商品が自分の財産構成と希望に合っているかどうかは、パンフレットの一枚では判断できない。手元に財産の一覧(不動産・金融資産・負債)と、誰に何を渡したいかという希望の骨格を書き出してから相談に臨む。同じ質問を複数の金融機関に持ち込み、対象財産・就任条件・費用の総額を比較する。紛争の可能性がある場合は、弁護士への相談を別に検討する。
名前に安心してから中身を読むのではなく、家族の希望を並べてからサービスの範囲を読む。そうすれば、「頼んだはずだった」という行き違いを減らし、頼む部分と別に準備する部分を具体的に分けやすくなる。
ほかにも確認する手続がある場合は、家族信託・成年後見の関連ガイドから目的に合う説明を探せる。
よくある質問
銀行の遺言信託は信託法上の信託か
一般には遺言作成支援・保管・執行のサービスだ。遺言によって財産を信託する制度と区別する。
申し込むと必ず銀行が執行するか
遺言での指定、相続開始後の就任と契約条件を確認する。著しく執行困難な場合に辞退する扱いもある。
報酬には税務や登記も含むか
税理士・司法書士の報酬や登録免許税などの別費用を確認する。保管・変更・執行の最低報酬も比較する。
遺留分の争いを必ず防げるか
保証する制度ではない。配分、評価とお金の請求への対応を別に検討する。
この記事は一般的な情報を説明するものだ。個別の判断は、相続関係、財産、契約、取引記録などの資料を示して弁護士・税理士へ確認したい。



