いったんした相続放棄は、相続を受けるか決める3か月の期間が残っていても、気が変わっただけでは撤回できない。一方、だまされた、脅されたなど、法律上の原因があれば取消しを検討する。単なるやり直しと、法律に基づく取消しを分けて確認しよう。
奈緒は、相続放棄の受理通知を封筒ごと机に置いた。父の正治が亡くなった後、兄の直人から「借金がある。財産は見つからない」と聞き、自分の暮らしまで借金の返済で崩したくないと思って申述(裁判所に自分の意思を申し出ること)したのだった。
ところが、その後、父名義の預金800万円の記録が出てきた。「まだ父が亡くなって三か月たっていない。やっぱり相続すると言い直せばいいのでは」。奈緒がそう考える一方、直人は「自分も後で見つけた」と言った。母はすでに亡くなっており、父の相続人は兄妹二人だったという架空の家族の話だ。
なぜ三か月以内でも、自由に言い直せないのか
三か月は、相続するかどうかを調べて選ぶための期間であって、一度選んだ放棄を何度でも試せる期間ではない。放棄をした人は、その相続について初めから相続人ではなかったものとして扱われる。その前提で、ほかの相続人や債権者(お金の支払いなどを求める権利がある人)も対応を進める。
もし奈緒が「今日は放棄する」「預金があったので明日は戻る」と自由に切り替えられたら、直人も債権者も、誰が相続人かを確かめ直し続けることになる。相続全体を動かす前提を安定させるため、民法919条は、熟慮期間内でも単なる撤回を認めない。
だからといって、脅されて選ばされた放棄まで同じように扱ってよいのか、という別の問題は残る。そのための例外が、法定の原因に基づく取消しだ。
撤回と取消しは別の手続
民法919条1項は、相続するか放棄するかを決める期間が残っていても、いったんした承認・放棄は撤回できないと定めている。相続人や債権者が、誰を相手に手続を進めるかを安定させるためのルールだ。
これに対し、同条2項は、民法総則・親族編の規定により承認・放棄を取り消すことまで妨げないとしている。つまり、次のような法定の取消原因が問題になる。
- 詐欺または強迫によって放棄した場合(民法96条)
- 未成年者が法定代理人の同意を得ずにした場合など、制限行為能力に関する取消原因がある場合
- 後見監督人の同意を要するのに、その同意を得ずに後見人が放棄した場合
「プラスの遺産を知らなかった」というだけで、直ちに詐欺や錯誤による取消しになるわけではない。誰がどの情報を、いつ、どのように伝え、その情報が放棄の意思決定にどう影響したかを証拠で検討する。
預金800万円が見つかったことと、兄にだまされたことは同じではない
直人も預金の存在を知らず、調査が足りなかったのか。それとも、直人が記録を持ちながら「財産はない」と告げ、奈緒に放棄をさせようとしたのか。見つかった預金の額が同じでも、判断に必要な事情は違う。
兄の説明と後の結果が違う、というだけで詐欺とは決められない。いつ誰が口座を知ったか、どの資料を持っていたか、どんな説明があり、そのために奈緒が放棄したのかを確かめる。メールやメッセージ、照会の回答日、申述書の控えを時系列にすると、疑いと確認できた事実を分けやすい。
また、重要な思い違いがあった場合も、錯誤の条件や事情の表示、過失などを個別に検討する必要がある。「知らなかった」「聞いていた金額と違う」という一言が、そのまま取消しの条件になるわけではない。
取消権には6か月と10年の制限がある
民法919条3項によると、取消権は「追認できる時」から6か月間使わないと時効で消滅する。承認・放棄から10年たった場合も消滅する。
追認とは、取り消せる行為を有効なものとして確定させることだ。「追認できる時」は、取消しの原因となった状況がなくなったか、取消権があると知ったかなどを、民法124条と個別の原因に照らして確認する。預金を見つけた日から必ず6か月と決めないようにしたい。
奈緒の場合も、兄の説明にどんな問題があり、いつ何を知ったかが、期限の判断につながる。放棄から10年以内なら、いつでも取り消せるという意味ではない。6か月の期間と、その数え始めも確認する。
相続放棄の取消しは、相手方へ通知するだけでは足りない。同条4項により、家庭裁判所へ取消しの申述をする必要がある。受理した家庭裁判所、事件番号、受理通知書、取消原因を示す資料を早めに整理する。
奈緒が直人へ「放棄は取り消します」とメッセージを送るだけで終わらせても、家庭裁判所への申述をしたことにはならない。兄との言い合いが長引く間にも期間は進む。まず受理裁判所と事件番号を確かめ、資料を持って必要な手続を確認したい。
受理された放棄の有効性が常に確定するわけではない
最高裁昭和29年12月24日判決は、放棄申述が家庭裁判所に受理されても、法律上の無効原因がある場合に後の訴訟で主張することを妨げないとした。受理手続と、債権者等との間で実体的な効力が争われる場面は区別する。
また、相続税が予期より多かった事案や、他の共同相続人(同じ人の遺産を一緒に相続する人たち)も放棄すると期待した事案について、最高裁が旧法下の動機の錯誤による無効を否定した例がある。事情が変わった、予測が外れたというだけでは足りないことを示す実務上の注意点だ。
まず「まだ申述中か」「受理された後か」を確かめる
家族へ「相続はしない」と伝えただけの段階、家庭裁判所へ申述したが受理前の段階、受理された後では、確認すべき手続が違う。受理後の放棄を気軽に撤回できるという話と、申述中の取下げの相談を混ぜないようにしたい。受理前か分からない場合も、裁判所へ処理状況を確認する。
奈緒の例は、すでに受理通知が届いている。そのため「三か月以内だから申述書を引き戻せるはず」と進めず、取消原因や実体的な効力を検討する場面になる。取消しの申述の受理と、後に民事訴訟などで効力を争うことも、同じ結論を保証する一つの手続ではない。
後悔を防ぐため申述前に行うこと
- 預貯金、不動産、有価証券、保険、債権を確認する
- 借入れ、保証債務、未払税金、賃貸借上の債務を確認する
- 遺産を処分せず、民法921条の法定単純承認に当たる行為を避ける
- 調査が終わらなければ、熟慮期間内に期間伸長の申立てを検討する
熟慮期間を数え始める時点と例外は相続放棄の3か月を過ぎた場合、放棄後の対応は相続放棄後の手続きで整理している。
奈緒は、見つかった800万円だけを見て申述書を出し直すことはやめた。代わりに、兄の説明を聞いた日、申述した日、受理通知が届いた日、口座の記録を見つけた日を並べた。直人が何を知っていたかは、まだ分からない。やり直せると決めつけず、だからといって確かめる前に諦めず、取り消せる理由があるかを資料で確認することが次の一歩になる。
公的資料・判例
- e-Gov法令検索「民法」915条・919条・938条
- 裁判所「相続の放棄の申述」
- e-Gov法令検索「家事事件手続法」201条
- 最高裁昭和29年12月24日判決・民集8巻12号2310頁(受理後の実体的効力)
- 最高裁昭和30年9月30日判決・民集9巻10号1491頁(動機の錯誤)
ほかにも確認する手続がある場合は、相続放棄・債務(借金など、支払い等をしなければならない義務)の関連ガイドから目的に合う説明を探せる。
よくある質問
相続放棄は3か月以内なら撤回できますか
できない。民法919条1項は、熟慮期間内でも承認・放棄を撤回できないと定めている。
財産が後から見つかれば取り消せますか
後発的な発見だけで自動的に取り消せるわけではない。詐欺・強迫など法定の取消原因と因果関係を具体的な証拠で検討する。
取消しは相手への通知だけで足りますか
相続放棄の取消しは家庭裁判所へ申述しなければならない。受理裁判所へ速やかに確認する。
取消しはいつまでできますか
追認できる時から6か月、または放棄時から10年という期間制限がある。どちらか一方だけを見ないようにする。
受理証明書があれば有効性は絶対ですか
証明書は申述が受理された事実を証明するものだ。無効原因など実体的な効力が後の訴訟で争われる余地までなくすものではない。
※本記事は一般的な情報提供を目的としています。取消原因、期間を数え始める時点、申述経過、財産処分、証拠により結論は異なります。受理裁判所または弁護士へ資料を示して確認してください。



