賃貸物件を相続したら、建物を誰が受け取るかの話し合いと、毎月の家賃・修理・敷金の管理を並行して進める。分け方が決まる前も、入居者との契約は続いている。
家賃を受け取る権利、支払う費用、返還に備える敷金を分けて記録しよう。以下の金額は説明のための仮定だ。
「お父さまには、退去するときに敷金を返してもらう約束でした」。入居者からの電話を受けた娘の絵里は、初めて父が大家だった実感を持った。父が遺したのは小さなアパート。母はすでに亡く、相続人は絵里と弟の航の二人で、遺言はないという架空の例で考える。
近くに住む絵里は修理の連絡を受け、遠方の航は「管理会社に全部任せればいい」と言う。航は物件を継ぐつもりだったので、分け方が決まる前の家賃も、いずれ自分のものになると思っていた。絵里は、今月の修理代をどこから出すのかが気になっている。
「全部まとめて引き継ぐ」は半分だけ正しい
民法896条は、相続人が亡くなった人の財産に属した権利義務を原則として引き継ぐと定めている。賃貸不動産であれば、所有権とともに、賃貸人としての地位、賃料を請求する権利、修繕などの義務、そして敷金に関する関係が引き継がれる。
ここまでは、確かに「まとめて引き継ぐ」と言える。
物件には、賃貸借のほかにも契約がある。管理会社への委託、家賃保証、火災保険、借入れなどだ。
それぞれの契約を読み、死亡の連絡、相手の承諾、名義変更や再契約が必要かを個別に確認する。相続したからといって、関係する全契約が、何もしなくても同じ条件で続くとは限らない。
まず手をつけるのは、物件に関わる契約の一覧を作ることだ。登記事項証明書、固定資産課税明細、借入れと担保の状況。全戸の賃貸借契約書、敷金の預り額、滞納の有無、更新時期、保証会社の名前。管理委託、保険、修繕の発注先、公共料金の契約当事者。この棚卸しが、次の判断の土台になる。
もし大家が亡くなるたびに賃貸借が消えてしまえば、入居者は明日も住めるのか、誰に家賃を払えばよいのか分からなくなる。相続で貸主の権利義務を引き継ぐのは、部屋の持ち主が変わっても、続いている暮らしと約束をつなぐための仕組みと理解すると分かりやすい。
その一方で、父個人へ任せていた管理委任などは、契約の性質を確かめずに同じだと扱えない。絵里と航は、まず管理会社へ死亡を伝え、入居者との契約と管理会社との契約を別々に確認した。
遺産分割が終わる前に、家賃は動いている
相続が始まっても、入居者はそのまま住み続ける。家賃は毎月発生する。遺産分割の話し合いが長引いても、賃料の流れは止まらない。
では、分割が終わるまでの間に入ってくる家賃は、誰のものか。
亡くなった後から遺産分割までに生じた家賃は、遺産そのものとは別に、各相続人が相続分に応じて受け取る権利を持つ。
後で建物を取得する人が決まっても、それだけで過去の家賃が全部その人のものになるわけではない。亡くなる前の未収家賃と、亡くなった後に生じた家賃も、台帳で分けておく。
| 賃料の発生時期 | 帰属 |
|---|---|
| 相続開始前 | 亡くなった人の債権として相続の対象 |
| 相続開始後から遺産分割まで | 各共同相続人が相続分に応じて取得 |
| 遺産分割後 | 不動産を取得した相続人に帰属 |
相続人全員が合意すれば、遺産分割前の賃料を遺産分割の中でまとめて清算することは可能だ。ただし、合意がないまま「不動産を最終的に取得した人が、過去の賃料も全部受け取る」という扱いにはならない。
ここで問題になるのが、振込先の口座だ。賃料振込先を変更するには、相続人・管理者の合意、本人確認資料、管理会社の手続をそろえ、賃借人へ書面で通知する必要がある。一人の相続人が全額を自分の口座に集めてしまうと、他の相続人との精算問題が後から生じる。相続開始の前後で賃料を区切り、入出金を別口で記録しておくことが、後の清算を単純にする。
「後でアパートを継ぐから、今月の家賃も全部自分」は成り立つか
この姉弟の相続分を各1/2とし、分割前のある4か月に生じた家賃が毎月30万円、計120万円だったとする。ほかの調整がなければ、家賃の権利は絵里60万円・航60万円だ。
その後に航がアパートを取得しただけでは、絵里の過去の60万円まで航のものにはならない。
そうでなければ、最終的な取得者が決まるまで、家賃の権利があるのかさえ落ち着かない。未分割中に生じる賃料を、その時の相続分で分けて捉えるのは、話合いの決着を待たずに生じたお金の持ち主を定めるためだ。
ただし、60万円ずつというのは賃料債権の説明で、必要経費も税金も引いた自由な手取りではない。絵里が受取窓口になって全120万円がその口座へ入っても、口座名義だけで全部が絵里の所得にはならない。国税庁の未分割遺産の不動産所得の案内も、未分割期間の誰の所得として扱うかが後の分割で変わらないとしている。全員で家賃を清算する合意をする場合も、所得税まで自由に別の人へ移せると考えない。
本文の仮定例。遺言はなく、相続人は絵里と航の二人で相続分は各1/2。分割前の4か月に生じた家賃は、月30万円×4=120万円とする。
120万円がまとめて入っても、全部が絵里のものにはならない。
後に航が建物を取得しただけでは、絵里の過去の60万円まで移らない。
60万円ずつは費用・税金を引いた手取りではない。全員で精算する合意をする場合も、未分割中の所得の帰属まで自由に変えられるわけではない。
分割前の管理を、誰がどう動かすか
賃料の帰属だけでなく、日常の管理も宙に浮きやすい。
修繕の判断、管理費の支払い、緊急の設備対応。誰が決めて、誰が支出を承認するか。遺産分割の話し合いが始まる前に、こうした実務の取り決めが後回しになることがある。入居者からの連絡に誰も返答できない状態が続くと、賃貸人としての義務を果たせないまま時間が経つ。
遺産分割が終わるまでの間、管理の窓口を誰にするか、支出の承認をどう判断するか、賃料をどう保管・分配するかを、相続人同士で合意しておくことが実務上の摩擦を減らす。
絵里は修理の電話を受けるが、窓口になっただけで全支出を一人で決められるわけではない。保存・管理・変更で必要な権限や同意が違う。二人は管理会社と、緊急時の連絡先、通常の支払方法、高額な工事を提案されたときの確認先を決めた。修繕の見積書・請求書・立替えた人も残す。家賃を受ける係と、そのお金の権利者を区別すると、役割を頼みやすくなる。
振込先を変えるだけでは終わらない、敷金の話
敷金の返還は、原則として賃貸借が終了し物件の返還を受けた時に、未払賃料等を控除した残額について行う。適法な賃借権譲渡等の場合も別に確認する。だから、相続時点で手元に現金があるかどうかだけを確認しても不十分だ。
確認すべきは、賃借人ごとの預り額、退去時の返還義務の範囲、未払賃料との相殺の有無、原状回復の取り決め。これを契約書と管理会社の台帳で一覧にする。「敷金はいくら預かっているか」と「退去時にいくら返すことになるか」は、同じ数字にならないことがある。
父の通帳に100万円残っていたとする。一方、二戸から預かった敷金の台帳には、それぞれ30万円、計60万円とある。だから100万円をすぐ50万円ずつ使ってよい、と考えるのは危ない。敷金は父への贈り物ではなく、家賃等の支払を担保するために預かったお金だからだ。
一戸が退去し、賃貸借の終了と部屋の明渡しを受けたとしよう。契約と法令に照らして差し引ける未払家賃などが5万円なら、その戸への返還額は敷金30万円−5万円=25万円になるという仮定だ。
通常の使用で生じた傷みまで、無条件に差し引けるわけではない。もう一戸の敷金30万円や今後の修理費も確認し、通帳の残高100万円だけで、家族へ配る額を決めない。
遺産分割で航が物件を取得するなら、預り敷金の内訳と、それに備える資金、既に発生した債務(借金など、支払い等をしなければならない義務)をどのように整理するかも合わせて確認する。家族内の負担の決め方だけで、借主に対する返還義務の相手方まで自由に変えられると考えないことが必要だ。
税務と登記は、分割の結論を待たずに期限が来る
遺産分割の話し合いが長引いても、カレンダーは動く。少なくとも次の二つは、分割の結論とは別に管理する。
- 相続税申告・納付:原則として、相続が始まったと知った日の翌日から10か月。遺産分割が終わっていなくても申告期限は延びない。未分割のまま申告し、分割確定後に修正申告や更正の請求をする制度がある。
- 相続登記:相続で不動産を取得したことを知った日から原則3年。相続登記の必要書類は早めに確認しておきたい。
固定資産税については、遺産分割前の固定資産税も別に確認が必要だ。
税務の面では、賃貸物件の土地評価にも注意点がある。貸家建付地の評価は、財産評価基本通達26に基づき、課税時期の賃貸状況を前提に計算する。空室があるという事情だけで自動的に減額されるわけではない。国税庁も、課税時期に現実に貸し付けられていない家屋の敷地は、一定の場合を除き自用地評価になると案内している。空室の状況や募集の経緯によって判断が変わるため、税理士への確認事項として早めに整理しておく。
建物を渡す前に、動いているお金を引き継ぐ
絵里と航は、管理会社の台帳を見ながら三つに分けた。父が亡くなる前に発生した未収家賃、死亡後から分割までに生じた家賃、これから入居者へ返す可能性がある敷金だ。修理代や固定資産税、管理委託料も、どの期間の費用かを横に書いた。
航が「建物を継ぐなら全部まとめて自分のものだと思っていた」と言うと、絵里は「私も、口座にある分だけ見ればいいと思っていた」と答えた。二人が同じ台帳を見ることで、受取窓口への疑いと、敷金を使い切る危険を減らせる。
賃貸物件は、家族が話し合っている間も入居者の暮らしと契約が続く。建物を受け取る人を決める作業と、いま動いている家賃・支出・預り金を管理する作業を、一緒に進めよう。
ほかにも確認する手続がある場合は、不動産の登記・分割・処分の関連ガイドから目的に合う説明を探せる。
よくある質問
相続したら管理契約もすべてそのままか
賃貸人の承継と、管理・保証・保険等の契約は別に確認する。各契約の届出・承諾等を確認する。
過去の家賃も最終受け取る人のものか
分割前に生じた賃料は各相続人が相続分で取得し、後の分割だけで変わらない。全員の精算合意は別に整理する。
敷金は口座の現金残高だけ見ればよいか
賃借人ごとの預り額、返還条件、未払賃料、原状回復等を契約と台帳で確認する。
空室があっても貸家建付地評価か
課税時期の貸付状況や一時的空室等の事情による。募集履歴・賃貸契約・空室期間を整理する。
この記事は一般的な情報を説明するものだ。個別の判断は、相続関係、財産、契約、取引記録などの資料を示して弁護士・税理士へ確認したい。



