相続放棄を兄弟の一人だけが行うとは、複数いる相続人のうち特定の一人のみが家庭裁判所に申述し、被相続人の権利・義務の一切を承継しないと選択する手続きのことです(民法938条)。
結論から言うと、兄弟の一人だけが相続放棄をすることは法的に可能とされていますが、放棄した人の相続分が他の兄弟に移る仕組みになっており、全員で放棄しない限り誰かが負債を引き継ぐ可能性があります。
「うちは兄弟仲がいいから」。そう言っていた家族ほど、相続が起きた瞬間に、空気が変わる。
温度が、下がるのだ。じわじわと。冬の朝に窓を開けた瞬間のように。
そして問題の中心にいるのが、「一人だけ相続放棄したい」という、あの発言だ。
兄貴だけ放棄するって言い出した。俺たちはどうなるんだ……?
これ、実は知っておくと視界がガラリと変わる話なのである。放棄した人間の取り分が「消える」のではなく、「移動する」という仕組みを理解しているかどうかで、家族の対応が180度変わってくるからだ。
で、結論から言うと。「一人だけ放棄」は可能。ただし、その分は兄弟に降り注ぐ
相続放棄は、民法938条に基づき、家庭裁判所への申述によって成立する。これは相続人ごとに行う、完全に個人単位の手続きだ。「兄弟全員で決めないといけない」わけでも、「話し合いで決める」ものでもない。
つまり、長男だけが放棄する、次男だけが放棄する、ということは、制度上は何の問題もない。
ただし。ここで「ただし」が来る。
放棄した人間の相続分は、消滅するのではなく、残った相続人に按分されて乗っかってくる。プラスの財産も、マイナスの財産も、一緒に。
これが、一人の「放棄します」発言が、残りの兄弟全員の人生設計を揺さぶる理由だ。

「一人だけ放棄」で起きる、思わぬ玉突き現象
少し整理しよう。たとえば、法定相続人が兄弟3人だったケースで考えてみる。
- 長男が相続放棄 → 長男は最初から相続人でなかったものとみなされる(民法939条)
- 残る次男・三男の相続分が、それぞれ「3分の1」から「2分の1」に膨張する
- 膨張するのは、プラス資産だけではない。親の借金も、2分の1ずつついてくる
「長男が放棄すれば、後は俺たちで仲良く分けよう」。そう思っていた次男・三男が、実は想定外の負債を引き継ぐことになる。これが、玉突き現象の正体だ。
さらに話は続く。親に子どもがいる場合、放棄によって相続権が親の親(祖父母)や兄弟姉妹に移ることはないが、子どもが全員放棄した場合には直系尊属・兄弟姉妹へと相続の矢が飛んでいく(民法889条・890条)。兄弟だけの相続であれば、その点は注意がいる場面もある。
いずれにせよ、「一人だけ放棄」は、残りの相続人に対して必ず影響を与える行為だ。
相続放棄と借金。「知った日から3ヶ月」で変わる選択肢
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放棄を決める前に確認すべき3つのこと
相続放棄の期限は、民法915条により「自己のために相続の開始があったことを知った時から3ヶ月以内」とされている。死亡日からではない。「知った日」からのカウントダウンだ。
この3ヶ月という時間の中で、少なくとも以下の3点は確認しておきたい。

① 負債の全容を先に把握する
放棄を検討するほとんどのケースは、「借金が怖い」という動機だ。だからこそ、まず負債の全容を把握する必要がある。JICCやCICなど信用情報機関への照会は、相続人であれば可能とされている。消費者金融からの郵便物、保証人になっていた記録なども見落とさないようにしたい。
② プラス資産と差し引きした「収支」を試算する
借金だけ見て「放棄一択」と飛びついてはいけない。不動産、預貯金、有価証券などのプラス資産と合算して、収支がどうなるかを冷静に試算する。マイナスになって初めて、放棄が現実的な選択肢として浮上してくる。
③ 「限定承認」という第三の選択肢を知っておく
プラスがあるかもしれないが借金の全容が不明、というケースで検討したいのが「限定承認」(民法922条)だ。プラスの範囲内でのみ借金を引き継ぐ制度で、相続人全員が共同で申述する必要があるため使い勝手は難しいが、知っておく価値はある選択肢だ。
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放棄を「口約束」で済ませてはいけない理由
ここで、絶対に押さえておきたいポイントを一つ。
「俺は放棄するよ」という発言。これ、法的には何の効力もない。ゼロだ。
相続放棄は必ず家庭裁判所への申述が必要(民法938条)。話し合いの席で「放棄します」と言って署名捺印したとしても、裁判所を通らない限り、その人間は依然として相続人のままだ。
兄弟間の合意書、念書、LINEのやり取り。どれも「法的な相続放棄」には該当しない。後になって「言った言わない」の果てしない議論が始まる前に、この点だけは全員で共有しておきたい。
放棄を決めた人間は、期限内に家庭裁判所へ、粛々と申述書を提出する。それだけが唯一の正規ルートだ。
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放棄後に残った兄弟がとるべき、具体的なアクション
一人が放棄した後、残された兄弟が次に動くべきことはシンプルだ。
- 相続財産目録の更新: 放棄によって相続分が変動したことを反映し、改めてプラス・マイナス双方の資産を一覧にまとめ直す
- 遺産分割協議の開始: 残った相続人全員が合意できる分割案を検討する。全員の合意がなければ協議は無効(民法907条)
- 相続税申告の期限を確認: 相続税の申告期限は相続開始を知った日の翌日から10ヶ月以内。遺産分割協議が未了でも、法定相続分での未分割申告(相続税法55条)が可能なため、申告を止める必要はない
- 準確定申告の確認: 被相続人に所得があった場合、相続開始を知った日の翌日から4ヶ月以内に準確定申告が必要(所得税法124条・125条)
放棄した人間が抜けた後も、残りの相続人の手続きは続く。止まっている暇はない。
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よくある質問
兄弟の一人だけが相続放棄することはできますか
はい、可能とされています。相続放棄は相続人ごとに行う個人単位の手続きであり、他の相続人の同意は不要です(民法938条)。ただし、放棄した人の相続分は残りの相続人に移るため、残った兄弟の負担が増える場合があります。
相続放棄の期限はいつからですか
相続放棄の期限は「自己のために相続の開始があったことを知った時から3ヶ月以内」とされています(民法915条)。被相続人の死亡日からではなく、相続人自身が「自分が相続人であること」を知った日が起算点となる点にご注意ください。
口頭で「放棄する」と言えば法的に有効になりますか
なりません。相続放棄は家庭裁判所への申述によって初めて法的効力を持ちます(民法938条)。話し合いでの合意や念書・署名捺印は、法的な相続放棄とは認められない可能性があります。
一人が放棄した後、残った兄弟は遺産分割協議をやり直す必要がありますか
放棄をした人は最初から相続人でなかったものとみなされるため(民法939条)、残った相続人の間で改めて遺産分割協議を行うことになります。協議は相続人全員の合意が必要とされており、一人でも欠けると無効になる場合があります(民法907条)。
相続放棄をしても、遺産分割協議への参加は求められますか
相続放棄が受理された時点でその方は相続人でなくなるため、遺産分割協議への参加は原則として不要とされています。ただし放棄の申述が受理される前に協議を進めると、後でやり直しが必要になる可能性があるため、放棄の受理後に残りの相続人で協議を進めることが望ましいとされています。
手続きを終えた後、兄弟のグループLINEに久しぶりに他愛のない話題が流れてきた日。「ああ、終わったんだな」と実感できる、そういう清々しさが待っている。
動く前に仕組みを知っておいてよかった。焦らずに済んだ。
「一人だけ放棄」は選べる。ただし、残った兄弟への影響を把握した上で、全員が納得できる動き方を先に確認しておく。それだけで、その後の手続きがずっとスムーズになる。
けっこうオススメです、事前の把握。伝わりましたかね。
※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の法律・税務アドバイスではありません。具体的な判断は必ず弁護士・税理士などの専門家にご相談ください。





